佐野眞一氏の過去の報ステコメントと今回の件の類似性

週刊朝日:橋下市長記事の連載中止(毎日)

橋下徹大阪市長の出自に関する週刊朝日の連載を巡り、橋下氏が朝日新聞の取材を拒否している問題で、同誌を発行する朝日新聞出版(東京都中央区)は19日、連載を中止すると発表した。朝日新聞出版は「同和地区などに関する不適切な記述が複数あったことを深刻に受け止めた」とし、連載を1回目で打ち切る異例の対応をとった。親会社の朝日新聞社も同日、「深刻に受け止めている」とするコメントを発表した。
週刊朝日の河畠大四編集長は「このまま連載の継続はできないとの最終判断に至りました。橋下市長をはじめとした関係者の皆様に、改めて深くおわび申し上げます。不適切な記述を掲載した全責任は当編集部にあり、再発防止に努めます」などとするコメントを発表した。朝日新聞社も「『週刊朝日』が今回、連載記事の同和地区などに関する不適切な記述で橋下市長をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしたことを深刻に受け止めています」とコメントした。

この騒ぎを最初に聞いて連想したのは同じ朝日新聞系のテレビ朝日報道ステーション」の金曜日のゲストコメンテーターにこの記事の筆者佐野眞一氏が今年になって頻繁に登場していたことだった。今夜もひょっとして佐野眞一氏かなと密かに期待していたが、これじゃもはや有り得ないか。
検索すると、その中で「なるほど」と思わせた5月のコメントを発見、私自身この放送をリアルタイムで聞いていた記憶がある。
「4号機は大丈夫か」佐野眞一氏5/25報道ステーション(動画・内容書き出し)

佐野眞一:(前略)
豚たちはですね「共食い」を始め、それから誰も見ない桜だけが咲いているという「沈黙の春」のような風景を一体この原子力ムラの人々というのは見たことがあるのか? 僕は人間にとって大きく出るとですね、一番大切な感情というのは、「身につまされる感情」だと思うんですよね。
「身につまされる」というのは、相手の立場に立ってですね、「その立場に自分がいたらどういう思いがするんだろう」と。
たとえば東京電力の、何時もスポークスマンで出てくる方。
ま、論理的に破たんはないような気はしますけれども、
じゃ、彼がですね、たとえば「浪江のですね牧場経営者であったら」ということは人間ならば必ず想像はできるんですよね。
その時に彼の論理というのは、僕は通用しないと思うんですよね。
あくまで原子力ムラの論理であってですね、それが一歩外へ出ると通用しない論理になっていて、これをテレビを見ていらっしゃる福島の方達はですね、「何を言っているんだ!」という事だけしか思わないと思うんです。
で、もう一つ言いたいことは、この1年2カ月の間に、どんどん、どんどん、なし崩し的にですね、再稼働であったり、それから値上げの攻勢であったりですね、どんどんどんどん、やっぱり東京電力というものに対して、我々がつのってくるのは不信感だけなんですよね。その事を彼らは身を持って感じながら言ってくれなければ困ると思うんですね。
で、僕はあの映像を見ていて、破裂する。ペレットが飛び出す。
これはもう、本当に空恐ろしい風景なんですよね。それにもかかわらず、
「は、そうですか」みたいなまるで地球圏外の生物が言っているような、我々と地べたが違っている。
この恐ろしさを一番感じましたね。なんか、背筋が寒くなりましたね。

きわめて“文学的”な表現だが、今にして思えばこのコメント「原子力ムラ」や「東京電力」を「ハシシタ」に置き換えれば何となく合点がゆく。「地球圏外の生物」を「被差別部落」に置き換えれば合点がますますいく。思考パターン、罵倒パターンは変わらないらしい。

相手の立場に立ってですね、「その立場に自分がいたらどういう思いがするんだろう」と。

というのはなかなか含蓄に富んだコメントではある。
ところで報道ステーションは今年に入ってなぜ佐野氏を重宝するようになったのだろうか。今回の週刊朝日連載と連動してなくはないなあ、と思う秋の夜長ではある。
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