日本は温暖化鎖国

温暖化ガス80%削減明記 50年まで目標、政府計画案(日経)

温暖化対策計画では、パリ協定の発効後に日本が国際社会に示す削減目標として、短期は20年に05年比で3.8%以上減、中期は30年に13年比で26%減、長期は50年に現在よりも80%減と非常に高い数値を明記した。長期目標の基準となる年は現時点では示していない。原発の再稼働の状況や各国の対応などを見ながら今後、詰めていく。

その中で、

長期目標の基準となる年は現時点では示していない。

というのが何とも奥床しい。いくら「案」とはいえ、こんな自堕落な「目標」設定見たことない。恐らく、4月公表予定の2014年度の確定値を見てから判断しようというものだろう。速報値は、
2014年度の温室効果ガス排出量(速報値)について

2014年度の我が国の温室効果ガスの総排出量は、13億6,500万トン
二酸化炭素(CO2)換算)であった。
前年度の総排出量(14 億800 万トン)と比べて、3.0%(4,300 万トン)減少した。

ことから日本としては2013年度の過去最大値よりさらに大きくなりそうだった2014年度を基準にしたかったが、どうも2014年度は前年度比減少しそうなので確定値を待って2013年度を基準年に決定したいのだろう。万が一、確定値が2013年度を上回っていれば、これ幸いと2014年度に変えることを仄かに期待して。現に、

原発の再稼働の状況や各国の対応などを見ながら今後、詰めていく。

というのもますます奥床しい。2013年度はかろうじて大飯原発が9月まで稼働していたが原発ゼロで、2015年8月に川内原発稼働するまで原発ゼロが続いていた。
2014年度は唯一100%原発ゼロ年度だったので、温暖化ガスが最大値になることをむしろ期待されていたフシがある。ところが、中国ショックなどによって工場の稼働が減るなどしてむしろ減ってしまってガッカリしているのではないか。2013年を基準にしたCOP21の削減目標提出前に「(もっと排出量が増えそうな)2014年にしてもいい」とまで言い放つ向きもあったのを覚えている。
こう考えると、日本は温暖化ガス削減をまるで衆議院定数削減問題を2020年の国勢調査にするのか、2015年の簡易国勢調査にするのか問題と同じレベルの問題意識なのかと思えてしまう。「各国の対応」を「各党の対応」に当てはめればわかりやすい。党利党略を国利国略と言い換えればなおさら分かりやすい。
関心があるのは気候変動対策そのものではなく気候変動交渉対策なのだ。あくまで「お付き合い」レベルの属人レベルの問題意識、政策(気候変動対策)よりも政局(各国の動向を見て最大限の利得を得る対人対党対国策)ことしか興味がないのだ。
その結果、対策そのものがゆるゆるになって、地球温暖化が更に進行しても知らぬが仏を決め込んでいる。本当の交渉相手たる自然生態系はいかなる交渉にも応じず、配慮もせず妥協もしてくれない。
日本がなぜいつまでも、本質を見ようとしないのには理由がある。本来なら、2015年のCO2濃度、観測史上初の400ppm」や「2015年世界の気温、1998年以来の過去最高2年連続爆上げ」のように2015年にとびっきり大きく地球温暖化が進んで、世界はかなり動揺しているのに、日本だけははまるで地球温暖化など別の惑星の出来事でもあるかのように無関心を決め込んでいる風にしか見えない。
その原因は多くの日本人が実は日本は「世界」に属しておらず、「世界」の外側にいると無意識レベルで思っているからではないだろうか。地球温暖化は「世界」の出来事であり、日本の問題ではないのだ。
かつてサッカーの三浦知良選手は、

「日本も世界なんですよ」
(記者の「日本は世界を相手に戦えますか?」との質問に対して)

(キングカズ語録)
と答えたことがあった。これはけだし名言で、日本人の特質をよく表している。これは、どんな問題に対しても「欧米では」とか反応する出羽守とも同じメンタリティ。「世界」は比較対象であって、そこには「日本」は含まれていない。
安倍晋三首相の指示も、
温暖化ガス削減目標 首相、経済・環境・国際世論に配慮(日経)

政府がまとめた2030年までの温暖化ガス排出量の削減目標案について、安倍晋三首相が3つの指示を出していたことが分かった。(1)電気料金を抑えるため発電コストを今より下げる(2)再生可能エネルギーの比率は原子力発電より高くする(3)温暖化ガスの削減目標は欧米並みにする――との内容だ。経済と環境、国際世論の三方に配慮してギリギリの着地点を探った形だ。

った。言わば“世間体”を第一に考えたことがよくわかる。(2)も論理的な問題より、とにかく再エネより原発の比率を大きくした方が世間体がいい。(3)の「欧米並み」は典型的な出羽守世間体だ。
このままでは日本は世界から取り残される。←これもまた世間体主義なのだけれど、本当にそうなりそうだ。
こう考えると、「長期は50年に現在よりも80%減」というのも、世間の目を気にしてとりあえず看板だけは立てましたというだけだろう。「長期」だからとりあえず「短期」はそんな真剣に考えない、ということが予め含意されている。現に「短期は20年に05年比で3.8%以上減」というのはその後の削減案を見れば、いかにも些少。具体策は単なる一般論で終始している。
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