マンデラの名もなき看守(Goodbye Bafana)

Goodbye Bafana公式サイト南アフリカネルソン・マンデラ大統領を20年以上に渡り看守として手紙のやり取りを検閲していたジェームズ・グレゴリーの自伝作品「Goodbye Bafana」が原作。ビレ・アウグスト監督、ジョセフ・ファインズ、デニス・ヘイスバード、ダイアン・クルーガー
原作自体がどこまでが真実か嘘かで議論呼んでいるのに、「ネルソン・マンデラがはじめて映画化を許した、真実の物語!」というキャッチコピーは何なんだろう。そもそも映画化するのに、マンデラ大統領の許可が必要なのかというツッコミはさておき、事実と思われるのは、マンデラが「グレゴリーは私ののことをよく知っていたが、私は彼のことをよく知らなかった」ということ。
マンデラの伝記を書いたイギリス人ジャーナリスト、アンソニー・サンプソンは「グレゴリーとマンデラは友達同士ではなく、手紙の検閲を通じてマンデラの情報を収集し、金儲けのために話をでっち上げた」と言っていること。サンプソンは4年前に故人となり、グレゴリーも5年前に他界しており、マンデラ自身、この作品に言及しておらず、どこまでが本当でどこまでが原作者の脚色なのか分からない。重要な証言者が他界してからの映画化とは、意地悪な見方をすれば、「死人に口なし」ではある。
ただ、大統領就任式にマンデラはグレゴリーを招待していたようなので、友情のかけらもなかったということでもないらしい。愛憎半ばする思いを抱いていたというのが真相に近いようだ。
原題のBafanaはグレゴリーが少年時代に一緒に遊んだという黒人少年の名前で、この友情がマンデラを理解するに至ったベースになったとしているが、あくまでグレゴリーの言い分だ。ならば1960年代末期、看守になった頃、黒人はテロリストで野蛮人と言い、マンデラに何のシンパシーも抱いてなかったことと矛盾する。彼はBafanaからもらったというお守りを肌身離さず身に付けていたというのに。
ただ、仔細な部分、グレゴリーの出世に気を揉む妻、スパイ行為による同志の殺害、暴動の激化による日和見的心情の変化などはリアルと言えばリアルではあり、つい全部本当のことと思ってしまいがちだ。
また、敢えて弁護するなら、この映画はグレゴリーとマンデラが深い友情で結ばれたようには必ずしも描いていない。マンデラはグレゴリーの息子が事故死したときに哀悼の手紙を書くが、それが友情の証だとは必ずしも言えない。マンデラが書いていたとしても、それはあくまで人間同士の儀礼として書いたとも理解できる。グレゴリーがそれをどう感じたかは別問題だろう。
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