炭素本位制ノート6

とりあえず、炭素本位制の骨格ぐらいは完成したが、肝心の背骨がまだ抜けているような気がする。つまり、なぜNatureの通貨たる炭素CとHumanの通貨Hとを交換しなければならないのか、ということ。
化石燃料起源の二酸化炭素を排出するということは、当たり前のことかもしれないが、炭素を酸化してエネルギーを得るということだ。
それでは、逆に光合成によって、二酸化炭素を吸収して酸素を分離し、炭素として固定する作業は、その方向性はプラスとマイナスの違いはあっても、絶対的経済価値として自動的に等価と見なせるのではないか[例えば、二酸化炭素を地層に封じ込めようというプラン(日経)があるが、これなどは二酸化炭素を分解して炭素をエネルギーとして固定化するわけではないから吸収とは言えず、炭素為替の対象には成り得ない]。
今のところ、経済価値は化石燃料起源の二酸化炭素を排出する側にしか付けられていない。代表的なのは原油価格だ。
原油市場で値が付けられる価格はもろにHumanの経済活動の活性度をほぼ反映している。もし、この原油など化石燃料市場価格を吸収側にコピー&ペーストして等価交換すれば、Humanの経済活動が活性化すればするほどNatureの経済価値も高まることになる。例えば、典型的な例として、バイオ燃料増産のためにインドネシアやブラジルの森林を伐採しようとしても、森林そのものの経済価値が高まるので森林そのものに抵抗力ができる。平たく言えば、「伐採するのが得か、そのまま森林として残しておくのが得か」というように全てが単純素朴な損得勘定で決まる。言わば、地球温暖化バランス・オブ・パワーだ。
となると、工場で何かを製造することも製造しないことも、家でガスコンロやエアコンを使用することもしないことも、オフィスで書類を作成することもしないことも、バイオ燃料を増産することもしないことも、森林を伐採することも、逆に植林することも、植物が自生的に繁茂ることも死滅することも、牛がゲップすることもしないことも、地球上で行われる、いかなる人間の活動も、生物活動も、全て炭素を媒介にして連関することになる。言い換えれば、人間も他の生物も同じ市場参加者という立場で活動することになり、それらの全てが経済活動として均衡し合うように働く筈だ。生態系を含めた拡大グローバル自由市場経済の誕生だ。
(Maybe continued)
(関連エントリーリンク)
炭素本位制ノート1
炭素本位制ノート2
炭素本位制ノート3
炭素本位制ノート4〜森林保有は儲かる
炭素本位制ノート5〜炭素金利
Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキングにほんブログ村 経済ブログへ