宮台真司氏と西部邁氏の歴史的和解

十年一昔と言うけれど、「マル激トーク・オン・ディマンド 西部邁流、保守主義のすすめ」で、宮台真司氏が西部邁氏の言説を大人しく聞いているのを見ると、その感慨と懐かしさを強くする。10年前、宮台氏は西部氏の天敵だったのだから。
10年ほど前のテレビ朝日系の深夜の田原総一朗丸川珠代司会の討論番組(朝まで生テレビではない)で、この2人は「歴史的対決」を行っており、宮台氏のTKO勝ちだった。どこがTKOかと言えば、「こんなダサい保守評論家が日本を変えられるわけないじゃないですか」などとことごとく西部氏の言うことを否定して一方的にまくしたて、西部氏は「うるさい、バカ」と涙目ではき捨てるのが精一杯で、番組途中で逃走した。後は宮台氏と田原氏で残り時間を埋め、田原氏が「西部さんは宮台さんが苦手なのかなあ」と言っていたのを覚えている。
今だったら、YouTubeにアップされて激しく祭りになっていたろう。宮台氏はこの一戦で保守派朝生文化人の巨頭を完膚なきまでに殲滅したと喝采されたのだ。
だけど、西部氏は本当は逃げておらず、スタジオの控え室で酒飲んで酔っ払いながら番組終了するのを待っていて、戻ってきた宮台氏に「これからは君たち若い者が頑張ってくれよ」うんぬんかんぬんとおだをあげ、それを見て宮台氏がますます辟易したというオマケまでついている。
そして今。西部氏の言っていることは10年前も今も何も変わっていない。びた一文変わっていない。宮台氏の反応はさすがに過去の経緯があったためか、いつもより硬く、相槌しかうてなかった。「同意できることばかりですね。用語法の違いだけで、日頃この番組で取り上げてきた問題ばかりですよ」。
確かに、最近の宮台氏の言動は、「なんか、昔、仇敵だった西部さんの言っていたことと似て来ているよなあ」と思っていて、今日の和解を悪寒はしていたのだけれど、ご本人が自ら認めるとは思わなかった。西部氏の言う「伝統」なるものは、「新しさ」に自動的にくっついていて、無意味なことだとかなんとか言っていたのではなかったのか。
それにしても、10年前となんら変わっていない西部氏がこの番組に招かれたことは何だったのだろう。10年前の西部氏は実はTKO負けではなく、10年越しの不戦勝だったのか。
宮台氏は番組の最後に「西部先生は若い人に誤解され易い」と言っていたが、過去の自分のことを言っているのか、はっきりして欲しいものだ。西部氏も「僕はもうじきで死ぬから宮台青年頑張ってくれ」って、これも10年前とちっとも変わっていない。
何が変わったのか。ネオコンブッシュ政権のその後の失敗ぶりと小泉内閣の「改革暴走」とそれに続く安倍晋三政権という外部環境の変化が今の和解に結びついたのか。あるいはお互い近親憎悪を抱いていただけだったのか。
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