オリジナリティとインサイダー取引

オリジナリティの淵源を辿れば、行き着く先は宇宙のビッグバンだろう。銀河系から元素まで、ビッグバンの爆発ぶりに差異が全くなかったら、宇宙はのっぺらぼうのままで何も生まなかったろう。(もっとも、ビッグバン自体差異がなければ起きようがないという矛盾ありそうだけれど)
ここらへん、池田信夫氏の誇張法なんだろうけど。
池田信夫blog:オリジナリティの神話
「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。すべてのものは、これによってできた」というヨハネ伝の最初の言葉は、最初に神の言葉があり、人々はそれを継承することによって世界を築いた、という彼らの意図とは逆のことを語っているのである。
も、ビッグバンという究極の「神の言葉」の継承に過ぎない。
けれど、「神」も人の擬人化から考え出されたとすると、またややこしいことになる。どこに「神=オリジン」を設定するかは人になる。人が神を否定し、自分が神と思えば、あながち否定できない。宇宙論にも「人間原理」というのがあるじゃないか。
"宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから"
これを応用すると、
"著作物が消費者に適しているのは、そうでなければ消費者は著作物を鑑賞し得ないから"
なんてことにならないか。
だんだん何が言いたいのかわからなくなってきたが、結局、このオリジナルは神しかないという主張も神頼みなのでブーメランのように自分に返って来るということになる。
それに、人間が作った自称オリジナリティを否定すると、困ったことになる。全てが神の思し召しで、この世に新しきものなし、なら、もう人間はやることがなくなり、極論すればイノベーションが起きない中世に舞い戻らなければならないはずだ。
しかし、一方で池田氏は「資本主義はインサイダー取引である」とも言っている。インサイダー情報は言わばオリジナリティの特権のはずなのだから、著作権だってその特権を主張していいはずだ。また逆にオリジナルなどないと言うのなら、全てのインサイダー情報もオリジナルでないのだから、インサイダー取引は不当ということになる。池田氏IPOとかでお茶を濁している印象を拭えない。IPOによる創業者利益だって著作権のバリエーションだろう。
資本主義は差異の鞘取りが基本というのはその通りなんだけど、著作物にも差異が存在するから売れる。その差異のオリジナリティはやっぱり著者としか言いようがない。
著作権というのは所有権のコピーのようなもので、オリジナルなんて存在しないと言ってしまうと、これまた極論で私有権の否定、共産主義社会にまで舞い戻ってしまいそう。
これ、もっと簡単に分かり易く、「オリジナリティの規制緩和をしろ」と言っちゃまずいのだろうか。「オリジナリティ」の定義も、人間のやることだから「市場原理」で決めればいいとか。
「オリジナルなきコピー」と言ったのはジャン・ボードリヤールだったか、情報のインフレで、オリジナルとコピーの差異が識別困難化し、顕微鏡的差異が多数を占めるようになり、著作権を主張するコストに見合わない差異は自ずと実質無料になる傾向にあるのは確かだろう。けれどそれは著作権の消滅を意味しない。「オリジナル」の市場価格が下がっただけだ。「著作権市場」でも開設すればいい。
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