全体最適のパラドックス

池田信夫 blog:「プロジェクトX」という錯覚 歴代の視聴率ベストテンには、「瀬戸大橋」や「青函トンネル」が入っている。男たちの「不屈のドラマ」の結果は、本州四国連絡橋公団の4兆円を超える債務と、旅客の通らない長大なトンネルだ。(略)「プロジェクトX」に描かれているのは、日本経済をだめにした局所最適化の錯覚なのだ。「世紀の難工事に挑む」前に、本州と四国の間に3本も橋をかけて採算が取れるのかという目的の合理性を考えるべきだった。
さて「世紀の難工事に挑む」のが錯覚なのか「目的の合理性」が錯覚なのか、実は微妙だと思う。
本四架橋については、実際のところ純粋の意味で本四架橋は瀬戸大橋だけだろう。後は淡路島架橋ついで、尾道今治ルートだってその間の多数の島への架橋を兼ねている。本四架橋が3つもというのが無駄な公共工事の典型のように言われるのはそれが目立ち過ぎるからだ。実際にはマスコミが取り上げない無駄な土建事業は無数にあり、目立つところばかり叩かれて、目立たないノン・プロジェクトXはスルーされて財政赤字を膨らませているのが現状だろう。
実際、青函トンネルも瀬戸大橋も本当に局所最適化の錯覚なのか実は分からない。
例えば、人類を月に送り届けたアポロ計画局所最適化の錯覚だったなんて言える人がいるのだろうか。アポロ計画自体は、達成された当時、地上の問題を忘れて浮かれるな、なんて批判があったものだ。
しかし、アポロ計画によってコンピュータ技術が飛躍的に進歩したし、今やっと人口に膾炙した燃料電池だってアポロが最初に実用化した技術だ。その他、丈夫で軽い繊維とかも含めればきりがないくらい想定されなかった恩恵がある。
これは、青函トンネルにしても瀬戸大橋にも言えることで、両プロジェクトで土木技術に飛躍的進歩をもたらしたことは素人でも感じられることだろう。その進歩は目立たないから専門家以外には目に見えて実感されないだけだろう。こういうのって全体最適化に想定されていなかったろう。
全体最適と言っても、それが全体最適だと思っている人(々)の想定の範囲内での全体最適であって、結局主観の問題に行き着いてしまう。想定の範囲が違えば自ずと全体最適も異なってくる。言い換えれば「全体最適」も「全体最適」の顔をした「局所最適」の一つに過ぎないことになる。このように経済学の概念は物理学と違ってどうしても主観性、政治性、イデオロギー性から免れない運命にあるように思える。
スポンタ通信2.2:局所最適な人達は、全体最適なために協力しない。(ネットワーク外部性) 局所最適な人達が自分最適なことを目指す限り、全体最適は達成されない」ことを読み取る。
けれど、局所最適って、何も全体最適と対立するもんじゃないと思う。人が何事かをする時、絶対「全体」のことを考えてやらないし、やれない。
全体最適化」が「個人最適化」に通じる社会。
「個人最適化」で「全体最適化」が達成される社会。
それがインターネットで実現できる。

何でいきなりインターネットなのか、よく分からないけれど、そんな社会絶対錯覚だよ。
そもそも、全体最適化ってかのアダム・スミスの神の見えざる手に反するんじゃないかという根本的な矛盾に思い至る。大体、「目的の合理性」ばかり考えて何事かを企図するというのは人間にとっては退屈なことで、退屈なことは「最適」に反することだから、その人はきっと何もしないで終わるだろう。
歴史上、全体最適化した状態なんてなかったし、これからもないだろう。大体、そんな簡単に全体最適化したら、その途端、人間はやる気もなくし、退屈になる悪寒がする。実は人々の生き甲斐は常に「最適」じゃないから生まれているんだろう。「全体最適化」って経済学的千年王国なのかよ。
という訳で、一番説得力があると思えたのは、実はこれ。
天使と悪魔のビジネス用語辞典
全体最適社会主義経済。部分最適は資本主義経済。
全体最適とは、個々の自由を制限し、全体の利益を優先させる考え方。
 これって、全体主義思想ですよ。

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