菅家利和受刑者釈放に見る検察の裁量権の大きさ

逮捕から17年「判断遅すぎる」足利事件・刑執行停止(朝日)

90年代初頭に実施されたDNA型鑑定の結果が再鑑定で覆されていた「足利事件」をめぐり、東京高検は受刑者の刑の執行停止という異例の判断に踏み切った。冤罪を訴え、早期の釈放を求めてきた弁護団からは評価する声が出る一方、判断が遅すぎるとの反発の声も上がった。
東京・霞が関の東京高検では4日午前、渡辺恵一次席検事が、「刑の執行を停止する」などとしたコメントを淡々と読み上げた。
「再審で無罪論告をするのか」と問われ、「釈放措置がすべてを物語っている」と否定しなかった。刑の執行停止については「厳しく受け止めている」と述べた。

しかし、まあ、掌返し丸出しの報道なのだけれど、検察が起訴すれば実質有罪扱い、検察が執行の停止をすれば、即無罪、冤罪扱い。まだ再審開始も決定しないというのに。「釈放」でも菅家利和さんはまだ受刑者であることに変わりない。検察が執行停止した根拠は、
刑事訴訟法442条(時事)

再審請求に刑の執行停止効力がないことを定める一方、ただし書きとして検察官は刑の執行を停止できると規定している。これは再審で明らかに無罪が見込まれる場合、刑の執行を続けると不都合がある場合を想定している。死刑囚が再審で無罪となった「免田事件」や「財田川事件」では、再審で無罪判決が出た日に、検察が元死刑囚を釈放した。法務省によると、裁判所が再審請求の可否の決定を出す前の段階で、釈放した例はないという。(2009/06/04-17:01)

刑事訴訟法442条

再審の請求は、刑の執行を停止する効力を有しない。但し、管轄裁判所に対応する検察庁の検察官は、再審の請求についての裁判があるまで刑の執行を停止することができる。

不思議に思うのは、この当該検察官は自らの裁量権で裁判所の承認もなしに受刑者の刑の執行を停止する権限があるのだ。今回が初のケースだそうだが、じゃあ、裁判所って一体何、と言いたくなる。時事の解説を援用すれば、

再審で明らかに無罪が見込まれる場合、刑の執行を続けると不都合がある場合を想定している。

ここで言う「無罪が見込まれる場合、刑の執行を続けると不都合がある場合」って何なのか。なぜ刑事告訴代理人に過ぎない検察官が、「見込まれる」だの、「不都合がある場合」だのを裁量で決める権限があるのか。はっきり言って、形式的にせよ裁判所が承認しないと裁判所の面目丸潰れだ。刑の執行を命じたのは裁判所の判決だ。それを無視して1検察官が裁判所の承認も得ずに自己都合で刑の執行停止できる権限がある、というのはある意味怖い。
検察官の裁量権を記した条文はまだある。
刑事訴訟法482条

懲役、禁錮又は拘留の言渡を受けた者について左の事由があるときは、刑の言渡をした裁判所に対応する検察庁の検察官又は刑の言渡を受けた者の現在地を管轄する地方検察庁の検察官の指揮によつて執行を停止することができる。
1.刑の執行によつて、著しく健康を害するとき、又は生命を保つことのできない虞があるとき。
2.年齢70年以上であるとき。
3.受胎後150日以上であるとき。
4.出産後60日を経過しないとき。
5.刑の執行によつて回復することのできない不利益を生ずる虞があるとき。
6.祖父母又は父母が年齢70年以上又は重病若しくは不具で、他にこれを保護する親族がないとき。
7.子又は孫が幼年で、他にこれを保護する親族がないとき。
8.その他重大な事由があるとき。

これも裁判所の承認を必要としない。裁判所とは判決を出すだけで、その言い渡しの刑の執行については関知せずなのだ。お気楽なものだ。これじゃ判決だって気が入らないだろう。検察は裁量権において裁判所より実質上位にある司法権の最高位にあることになる。
大体、2.の「年齢70以上であるとき」とか、6.の「祖父母又は父母が年齢70年以上」というのは、いつの時代の話なのだろうか。この項目は1953年以来改訂されていない。当時の平均寿命は60歳代前半だ。今や平均寿命80歳代前半だ。今なら「年齢90年以上」に改訂されていてしかるべきだ。
単なる怠慢では済まされないものがある。刑事訴訟法で検察官の裁量権が認められているうえ、時代に応じて改訂されないのなら、その裁量権の幅はますます大きくなる。
極論すれば、政治家や公務員などが有罪判決受けても、検察の裁量権を使って政治的判断で釈放できる余地が大きくなるということだ。
とどめは8.の「その他重大な事由があるとき」だろう。これでフリーハンド持ったのも同然だ。要するに都合よくできているのだ。
そのことは逆もまた真なりで、そもそも、誤捜査、誤起訴、誤判決、冤罪も、裁判所のお気楽さに起因するチェック機能の甘さと検察の裁量権の大きさの裏返しなのだから。
植草一秀の『知られざる真実』:足利事件菅谷さん釈放麻生首相の不熱意発言より。

国家権力の規制を目的とする憲法の下に刑訴法(けいそほう=刑事訴訟法)が存在する以上、その目的は「犯罪者」をいかに効率良く処罰するかではなく、十分な証拠もなしに片端から犯人扱いしかねない国家に、でたらめな処罰させないということでなければならない。だから、検挙率や有罪率の高さは日本の刑事手続きの欠陥を示しているのだ。
しかし、日本の刑事手続きの関係者は、そうは考えず、より効果的な捜査のためと称して、警察の拷問的取り調べや職務質問の強制、盗聴など違法な捜査手法を次々に合法化し、防御権を踏みにじってきた。

(原文)
今回の菅家利和受刑者「(仮)釈放」を手放しで喜んでいられる場合じゃないだろう。マスコミも所詮、検察同様、裁量で掌返しという「無罪判決」を自ら行っているに過ぎない。
Clickで救えるblogがある⇒人気blogランキングにほんブログ村 ニュースブログへ