「生活実感に近い名目GDP」という表現そろそろやめてほしい

日本経済「縮み」の10年 名目GDP5%減、賃金の総額も目減り(日経)

日本経済にとって2000年代は“縮小の10年”だった。生活実感に近い名目国内総生産(GDP)は10年前に比べて5%減少し、働く人の賃金の総額である雇用者報酬もマイナスに転じた。10年間の鉱工業生産は1990年代に比べ年平均で1.5%低下した。00年代の平均物価は冷蔵庫が17%、洗剤が39%下落するなど「デフレ」も際立った。
 エコノミストの予測などによると、09年の名目GDPは473兆円程度になりそうで、1992年の水準を下回る。名目GDPは90年代末の99年と比べると5%の減少。00年代平均では0.5%のマイナスになる。


ということらしいけれど、この判で押したような「生活実感に近い名目GDP」という表現がいかにも古臭くないか。こんな表現は、右肩上がり経済に慣れて惰性で使っている表現だ。より正確を期せば、右肩上がり経済を前提にした生活設計をしてきたことによる「実感」に基づいている。そもそも右肩上がり時代でインフレが当たり前だった時代は実質GDPが「生活実感に近い」だったのだから、倒錯している。
平たく言えば、住宅ローンも何もすべて毎年給料が上がることを前提に人生設計していた人が、その前提が崩れて「実質GDPが上がっても、生活実感としては豊かになった気分になれない」ということだろう。
その結果、デフレで物が買いやすくなったのに生活実感としては豊かになった気分になれない、ということになる。
本来の字義で言えば、「名目」とは名ばかり、という意味で、「実質」は本当の、という意味だ。しかし、マスコミはなぜか倒錯して「名目」と「実質」を真逆に使っている。大体、万民が「生活実感に近い名目GDP」と感じているワケがないのだ。そんなもの、人によって違うのだ。これでは「生活実感に近い名目GDPでないと意味がない」と刷り込んでいるのと同じだ。マインドコントロールの一種だ。その背後に隠れているのは「経済成長せよ」という懐古的教義なのだ。この教義があったためにバブル崩壊後、無理に無理を重ねた結果、国債残高がトンデモなく増えてしまったことが歴史の教訓。
なのに、鳩山政権もこの教義から脱しておらず、
名目3%成長、新規雇用476万人 成長戦略を閣議決定(同)

2020年度に名目の国内総生産(GDP)を650兆円程度に引き上げるとし、平均の成長率目標を名目3%、実質2%以上と設定した。また「日銀と一体となって、出来る限り早期のプラスの物価上昇率実現に向けて取り組む」と、デフレ克服への意欲を強調。

としている。名目3%、実質2%ということは、インタゲ1%ということになるのだけれど、はっきり言って、結果的にそうなることはあってもトンデモない。やっぱり過去の成長経済よもう一度だ。デフレなんて克服すべきものじゃないし、発展途上国じゃあるまいし、成長戦略も時代錯誤。成長なんて、たとえば、中国が勝手に成長してくれれば、それに応じて成長するだろうし、デフレだって中国が怒涛の勢いで安いものを輸出してきたからで、そのうち中国が豊かになって物価が上がれば、だんだんデフレ要因もなくなってくる。どっちにしても外国次第なのだから日本が今更デフレ克服、成長戦略考えても詮無きことなのだ。
鳩山政権は余計なこと考えずに無駄なカネを使わせないことだけを考えればいいのに
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