永遠にキモがってください。

女教師ブログ:大発見!Googleストビュー自体はキモくないが、その狂信者はキモい

これのどこが「メリット」なのかさっぱりわからない。
それもそのはずで、「メリット」がいつのまにか「豊かな可能性」にすり替わってしまっているからだ。
え?「豊かな可能性」がメリットだって?
そういうのをトートロジーと言う。「豊かな」ものをメリット言わずしてなんというのか。

勝手にトートロジーでっち上げてください。私の責任じゃないんで。

そのような「娯楽への欲求」は、技術が生まれたことで後から「構築」されたものである。断じて「エベレストに行きたい!!!(ただし自宅で)」なんて欲求が最初からあったわけではない。

これらいずれの「メリット」も、一部の人の「欲求」を満たすものである。
欲求の存在しないところに、「豊かな可能性」とか「プラス面が遙かに大きい」などと煽って、「欲求」を生産するのはキモい。それこそまさに「Googleストリートビューのキモ過ぎる可能性」だ。

これらいずれの「メリット」とは、ナビ代わりだのの実用性なのだけれど、はてな、今の今までストリートビューでナビしたいとか、その他の欲求ってあったんだろうか。少なくともグーグルがストリートビューを発表する以前にはなかったと思うんだけど。「欲求の存在しないところ」に「欲求」を生産するのはキモい。
可能化した欲求と未実現の欲求未満を無意味に区分けしているだけだ。ちなみに欲求未満とはまだ脳内で構築化されていない未分化の欲求のようなもの。
「メリット」もなぜか可能化されたものに無意味に限定されている。もし、限定するなら「豊かな可能性」とメリットは相容れず、「メリット」じゃないことになる。それにこの人、痛いのは月面散歩の「欲求」が存在しないなんて言ってのけていること。19世紀、いや、ジュール・ヴェルヌを思い出せば、さらに古く18世紀の人かと思ってしまう。
どうでもいいけど私は「豊かな」などとは書いておらず、「壮大過ぎる可能性」と書いている。これ、意味違うんだよ。壮大さは必ずしも豊かさに結びつかないこともある。
全体的にこのエントリー俯瞰すると、でっち上げられた「欲求」は「欲求」じゃない、とわめいているだけ。だけど、でっち上げじゃない「欲求」ってあるんだろうか。ないよな。